もつ焼き新潟屋の歴史

      

もつ焼き新潟屋のはじまり

戦後まもない昭和22年、初代 五十嵐定吉が新潟から妻の兄を頼り東十条へ。 当時、妻の兄は精肉店を営んでおり、その隅の6畳ほどの場所を間借りし、肉の端材をわけてもらい店先で売り出した。食糧難も手伝い瞬く間に広がり今の礎を築いた。

         

流れる空気

新潟屋に訪れたお客様のほとんどが懐かしいと口にする。 それは半世紀以上、続いた店内の雰囲気だけではないだろう。 働く店員、長年にわたり通い続けるお客様、幾千幾万の方々がそれぞれの思いを胸に訪れたこの店内には全てを受け入れてくれる安心感にも似た懐かしさのだと思う。 全ては人が醸す空気。それが今の新潟屋を作り出している。

         

もつ

もともと端材を使っていた歴史の中に捨ててしまう内臓があった。食べる物に困る時代の中で生まれた内臓料理。ただ最初は試行錯誤の連続だった。今では当たり前のもつ焼きだが、初めてふれた者には臭味や、触感の処理が難しく非常に困難を極めた。それは現在に至るまで常により美味しくを考え試行錯誤の日々は続いている。 ただ1つ答えはある。それは鮮度。処理の仕方などよりも鮮度が命である。そこに丁寧な仕事が加わり召し上がっていただく事は絶対の約束と考えている。

      
         

もう一つの名物

それはもつ煮であろう。訪れたお客様は、ほぼもつ焼きともつ煮を召し上がる。 この内臓には鮮度はもちろんだが使う部位にも強い拘りがある。ただただ内臓を入れる煮込みが、世にはほとんどのように見える。新潟屋はもつ煮はもつ煮でしか使わない専用の材料を仕入れ作り上げる。そして代々、継ぎ足した基のスープは長い年月と云う調味料も相まって新潟屋のもつ煮は完成する。